教え

外界の平和は心の内の平安より

人間はだれでも自分の安楽そして社会の平和を求めるでしょう。多くの人々が学歴・財産・地位・名誉があれば幸せになると考えて一生懸命に仕事をしています。しかし、人々の実態を眺めてみると、大学者・大金持ち・国々の指導者らは必ずしも幸せではないようです。場合によって逆に一般の人々より悩みが多いかもしれません。そうすると、どうしたら幸せになれるのかという質問が起こります。ここに幸せに導くお釈迦様の教えを紹介します。

仏教の教えでは、幸せになるためにが確かにある程度の財産なども必要であるが、それらの他に以下の三要因が欠かせないものであると言われています。

1.布施:この布施の目的はお互いに助け合い・護り合うことにあります。ただ物を他人に上げるだけではなく、自分の心から怒りや忌みを追い払って、いつでも素晴らしい気持ちで善意をもって人々に接することもこの布施に含まれます。それは無畏施と呼ばれます。

2.持戒:五戒つまり不殺生・不盗・不邪淫・不妄語・不飲酒は基本の戒律です。戒律を守る目的は自分と他人を傷つけないことにあります。ある人は自分の利益のために他の生き物を殺したり、他人の財産を盗んだり、みだらな行為をしたり、うそをついたりしています。それは長い日で見れば決して幸せにはなりません。その罰はいつか必ず自分に戻ってきます。もし自分が殺されたり財産が奪われたり、愛している人がみだらな行為をされたり、騙されたりしたらどんなに苦しむかとよく考える必要があります。他人に同情して行動することも持戒に当たります。酒を飲むこととは自分を傷つける持戒にはんすることです。

3.瞑想:瞑想の目的は心を安定させることです。心が安定すれば自然的に清らかになります。安定して清らかな心を持っていない人はいいことをしようと思っても時々欲望に負けて悪いことをやってしまいます。このように瞑想は布施や持戒など善行を仕えるものです。

他人を助けず、他人に護らず。利益があれば他人を傷つけてもかまわないと思い、心が不安定で汚い人は大金持ちであっても、威力があっても決して幸せになりません。しかも、そのような人は社会に不安をもたらします。

反対によく他人と助け合って護り合い、自粛して正しい生活をし、安定して清らかな心を持つ人はごく普通の人であっても幸せになります。そしてこのような人が多くなれば、その社会は平和になります。

このように布施・持戒・瞑想は修習している人に心の安定をもたらし、同時に社会の平和をもたらします。これは仏教徒に限らず、全人類に共通で、普遍的なものです。

上座部仏教とは

釈尊在世時代の教理、思想をセイロン(現・スリランカ)、ビルマ(現・ミャンマー)、タイ、カンボジア、ラオスなど東南アジア方面に忠実に伝わった仏教です。それぞれの国の僧侶は、釈尊が悟りを得た時に行った瞑想を規範として、それに忠実に従って瞑想を実践しています。また、上座部仏教がパーリ語という一種の古いインド語で書かれた三蔵聖典を使用しているので、パーリ仏教とも言います。大乗仏教では上座部仏教を含め部派仏教全体を指して小乗仏教と呼び、日本もそれを受け継ぎました。しかし「小乗」とは「大乗」に対して「劣った教え」という意味でつけられた蔑称であり、上座部仏教側が自称することはありません。世界仏教徒の交流が深まった近代以降には相互尊重の立場から批判が強まり、徐々に使われなくなりました。1950年6月、日本の伝統仏教各派も加盟する世界仏教徒会議(WFB)第一回世界大会がコロンボで開催された際、小乗仏教という呼称は使わないことが決議されました。