ストップ!仏教が消えてなくなる前に

ストップ!仏教が消えてなくなる前に

一部の仏教徒は、視野が狭くなっています。仏教には、それ本来の良さがあると思っています。それは教えを実践していけば、衰退することはないと。しかし、過去にインドやインドネシア、パキスタンで衰退しました。それはなぜなのでしょうか。

2017年3月15日 10:00

法務省特別捜査局またはDSIはタンマガーイ寺院への捜査を打ち切りました。先日まで治安に携わる部署から4000人以上が動員され、23日にも渡ってタンマガーイ寺院を包囲・封鎖し、住民への取り締まりや通信回線の切断などを実行し、約1億バーツの失費がありました。

軍隊とタンマガーイ寺院の僧侶および信者の衝突が起きた日の写真があります。寺院周辺の住民は商いも出来ず、交通も不便となったため、非常に苦しい生活を強いられました。なぜなら、使用していた一般道であるクローンエン(水路沿いの細道)、クローンソーン(第二水路沿いの道路)が通行禁止となり、周辺住民は検問所の軍隊と衝突しました。これらの写真は“タイおよび仏教への印象”に影響を及ぼしました。

結果として、“タンマチャヨー元住職”は寺院内では発見できず、逃亡犯として指名手配し、捜索を続けています。しかし、ある人物はいまだに寺院内に潜伏していると“妄想”しているのです。

DSI当局は隅々まで捜索し、さらには捜索に参加したのDSIだけではありません。他にも地区僧長やサンガの警察機構、国家仏教事務所も捜索に参加し、一部では軍隊も参加していました。

それでも信じずに“妄想”し、“タンマチャヨー元住職”が寺院内に潜伏していると未だに信じているのです。ある人物は“妄言”し、タンマガーイ寺院には“地下施設”や坑道があり、外に繋がっていると“煽り立て”捜索を続行させようとしています。既に当局が隅々まで捜索したにも関わらず、ある人物は妄想を膨らませ、“住職の座を争っている”などと“楽しげ”に発言し、サンガの伝統を全く理解していない発言をしています。

現在タイ仏教が浮足立ち、一部の仏教徒は“このまま仏教徒同士が互いに悪意を持ち、傷つけ合い続けたのなら、100年もしない内にタイ仏教は衰退する”と信じています。そして、仏教徒の大多数は自分に影響を及ぼさないことに無関心であり、大多数の仏教徒は“なすがまま”を受け入れるように教えられています。しかし、その所為か“放置”や“義務の放棄”をするようになり、全体のことを意識せず、因果の成り行きに任せた生活を送ります。特に仏教に関する危機が迫った時に。

事実、一部の仏教徒は“視野が狭く”、そして“仏教にはそれ本来の良さがあり、仏教徒が教えを実践し続ければ、衰退することはないだろう”と思っています。それは過去にインドやインドネシア、パキスタンの仏教が衰退したことを忘れています。なぜ、衰退してしまったのかという歴史を学ぶこともせず、“偏見”で現状を判断しているのです。

また三蔵を深く読んでいる人達は各々の解釈から、ある教団では“僧侶は金銭を所持してはいけない”というスローガンを掲げています。しかし、それは社会の背景に目を向けていないだけです。

僧侶の生活に目を向けていないのです。“僧侶は、お布施を何に使っているのか。ある僧侶は病院を建てたり、橋をかけたり、慈善学校を建てたり、老人ホームを立てたりします。”僧侶はお布施を受け取った後、住民の生活を良くするために地域づくりに役立てており、政府の地域開発を手助けしています。ある僧侶はただ“功徳の架け橋”となっているだけなのです。

事実、お布施されたお金を誤った方向に使っている僧侶もいるでしょう。しかし、私自身は、ごく少数だと考えています。これこそ、改善していかなければならない点です。

もしも僧侶や住民の“信仰心”を制限する法律を作ったのならば、最終的にタイ仏教もインド仏教と同じ道をたどるようになります。つまり、“僧侶は金銭を受け取ってはいけない”という一部の法案によって“衰退”するからです。

その多くが仏教徒ですが、一部は仏教について十分に学んではいません。さらには、習慣として出家しただけの人や出家歴が長くても寺院の運営に携わったことがなく、“寺院にも水道や光熱費、寺院の修繕や建築費”があることを理解してない人もいます。なぜなら、住職は彼らが僧侶である期間中無料で教えを説き、住居を提供してくれます。さらに、事実寺院にお布施をしようとしていう住民がいるでしょうか。実際は信奉している僧侶にお布施をしているのです。例外としては有名な仏像や観光スポットだけです。もしも、それらをすべての寺院や僧侶に当てはめるのは不可能としか言えません。

地方の寺院や僧侶にお金があると思っているのなら間違いです。ある寺院は地区僧長が管理し、僧侶を派遣しています。時に僧侶は自分でご飯を炊いたりしなければなりません。さらには現在僧侶の数が減り、廃寺が増えています。どうすれば、廃れた寺院を復興できるのか。どうすれば、瞑想に興味を持ってもらえるのか。現代の子供や若者が寺院へ訪れてくれるのか。どうすれば、仏教を継承し、寺院の世話を任せ、そして仏教の祭日や雨安居のときに住民の拠り所となる人々を増やすためにはどうればよいのか。仏教徒はこれらについて考え、協力していかなければなりません。今のように業を恐れることもなく、面白おかしく“僧侶を弾圧”している場合ではありません。

タイ仏教の“衰退”について、もしもプラユット・チャンオチャ首相が信じていないのであれば、首相の信奉するトンブリー県の僧侶に尋ねてみてください。もしもスワパン・タンユワタナ氏も信じていないのであれば、氏の信奉するチャイナート県の僧侶かよく立ち寄る林間部の寺院で尋ねてみてください。

御二方は、これまで国家の治安に携わってきたのであれば、“民族・仏教・国王”の三位がタイ王国を構成しているという言葉を聞いたことがあるはずです。どれか一つでも欠けたのなら、他の二つにも影響を及ぼします。もし知らないのであれば、チェン氏に尋ねてみてください。


参考記事:デリニュース新聞2017年3月15日より

https://www.dailynews.co.th/article/561635